あっつい暑い夏がやってまいりました。
こんなときには麦茶もイイけどやっぱコレ。
という訳で今回はこちらの御題。



乳清・乳酸飲料の噺



うだうだ子ちゃん。乳酸菌飲料・乳清飲料というものは
昭和キッズにとって生活の一部だったといっても過言ではないかと思えるほどに、
身近な飲料として存在していました。
体に良いという側面からも親も推奨してましたしね。
21世紀の今もなお乳酸菌・乳清飲料はさらに進化し、数多く販売されています。
ありがとう牛。
ということで今回は昭和キッズの味方・乳酸菌乳清飲料をばばんと。










カルピス&フルーツカルピス(カルピス)


乳清飲料の元祖とでも言うべき歴史的商品。
1908(明治41)年、当時30歳の三島海雲氏(のちのカルピス製造株式会社・創業者)は
内モンゴルで口にした酸乳に強い衝撃を受け、これを活かした商品が出来ないかと
試行錯誤した末に、「醍醐味」と呼ばれるヨーグルトのような乳製品を開発します。が、
大量の牛乳を使って僅かしか抽出できない商品の為、商業的に失敗。
が、醍醐味精製の過程で生まれた脱脂乳を乳酸菌で発酵し
これに加糖したものを希釈して飲んだところ、美味だったことから商品化を決意。
牛乳に含まれる栄養素の「カルシウム」とサンスクリットの「サルピス(熟酥)」を掛け合わせ
「カルピス」と命名し、1919年(大正8)年7月7日に販売開始(今でも7月7日は「カルピスの日」と言われます。)。
発売日が七夕だったことから包装紙は天の川を思わせる紺色に白い球模様が。のちに物資統制でインク不足になると、
インクが少なく済む白地に紺の水玉模様に変更。今なお続くスタイルが確立します。
1960年代には果汁風味を足した「オレンジカルピス」(のちのフルーツカルピス)が、
1973(昭和48)年には炭酸で割った「カルピスソーダ」が(希釈せずストレートで飲める初のカルピス商品)が、
1991(平成3)年には薄めずにそのまま飲める「カルピスウォーター」が発売され、
その手軽さから大ヒット。以降も「カルピスダイエット」(2006(平成18)年)
「ゼロカロリーのカルピスすっきり 」(2016(平成28)年)
「カラダカルピス」(2017(平成29)年)「グリーンカルピス」(2020(令和2)年)と、
新商品を次々生み出しています。本家自身も輸送時の破損や重さの問題を解決するため、
1995年(平成7年)から紙パック入りにシフト(瓶タイプも並行販売)。
さらに2002(平成14)年にはカルピスを飲んだときに出来ていた
口内の白い塊生成防止の為の大豆多糖類が加えられました。
(この白い塊はカルピスに含まれるカゼインと唾液成分のムチンとが反応して出来るもの)
販売から100年を超え、今なおカルピスは進化し、多くの愛飲者を生み出し続けています。



コーラス(森永)


1927年(昭和2年)、森永乳業より発売された乳清飲料。カルピスと同様水で希釈して飲用する乳清飲料で、
カルピスよりも爽やかであっさりした風味が特徴。
昭和の夏休みはカルピス・コーラス・ミルトンの乳清飲料御三家が揃い踏みし、
どれを選ぶかで悩んだものです。
希釈タイプは製造を終了し、その後「コーラスウォーター」という一リットル紙パック飲料で
販売が継続されていたのですが、やがて全国販売も終了。
令和三年まで沖縄限定で流通していましたが、それもついに終了し、
95年の長きにわたる森永コーラスの歴史は
惜しまれつつピリオドが打たれることになりました。



ミルトン(前田産業)



1957(昭和32)年に発売された、日本で初めて果汁入りを実現した乳酸菌飲料。
カルピス・コーラス同様濃縮液を水で薄めて飲む希釈タイプ。
TVCMを長年やっていたこともあって、関西地方では知名度が高いです。
カルピスよりもあっさりした印象で、カルピスと比較しても安価だったことから比較的馴染みがありました。
同社はこのミルトンの技術を応用した「チューペット」も販売しており、
そのまま飲んでよし、凍らせて氷菓にするもよしと、子供達に大いに喜ばれました。
残念ながら前田産業が2014年の飲料水事業を撤退したことににより製造・販売終了。



ハイカップ(不二家)


1959年(昭和34年)に不二家が発売開始した乳酸菌飲料。
茶褐色の色合いが独特で、カルピス同様濃縮液を水で希釈して飲用します。
「ちょっぴり酸っぱくたっぷり甘い」とCMで歌われていたように、独特の酸味と強い甘みが特徴。
発売時期によってオマケがついていたのも特徴で、有名なのは「こけしペコチャン」と「オバQ音頭」。
「こけしペコちゃん」は2〜3cm小さな根付のような人形のペコちゃんで一瓶につき一個ついてくる仕様でした。
「オバQ音頭」はハイカップの王冠1個(+20円切手)を封筒に入れて不二家に送ると、
当時不二家が提供していたTVアニメ「オバケのQ太郎(1965〜68)」の
エンディングテーマ「オバQ音頭」のソノシートが
もれなく貰えるというもの。このソノシートプレゼントは大ヒットし、
当時いろんな盆踊りの会場で「オバQ音頭」がかかりまくりました。
現在ハイカップは製造を終了してしまいましたが、オバQを見るたびに不二家のハイカップを思い出す
ご年配の方には多いのでは?



スポロン(グリコ)



1973年(昭和48年)にグリコから販売されていた乳酸菌飲料。
発売初期から暫くの間はスポロンが4つ横につながった形で1つ1つ分けられるようになっていて、
子供にも飲みやすい分量になっています。
名前の由来は「ラクトバチルス・スポロゲネス(Lactobacillus sporogenes)」(有胞子乳酸菌)に由来するもので、
同時期に販売されていた「スポロガム」の名前も同じ由来なのだとか。
三角の容器を思わせるイメージキャラの「スポロン坊や」が初期からデザインされており、
親しみのもてるキャラとして人気を博していました。
残念ながら現在はこのスポロン坊やは消えてしまっています。
またスポロン自体も「幼児スポロン」という名前に変更されており、
乳幼児用乳酸菌飲料という扱いになっています。もっとも、大人が飲んでも全然構わないのですが。



ヤクルト(ヤクルト)


乳酸菌飲料の最古参でもあり、顔役ともいうべき存在。
京都大学の医学博士・代田稔氏が乳酸菌の一種「カゼイ・シロタ株」の強化・培養に成功し、
それを基に開発し、1935(昭和10)年に商品化し販売開始。
エスペラント語でヨーグルトを意味する「ヤフルト」からヒントを得て「ヤクルト」と名づけました。
当初は瓶入り・宅配専売という形で販売され、商品の効能を説明する訪問販売員を通じて
顧客に商品を渡す形式が取られていました。
その後1963(昭和38)年に婦人販売店制度(ヤクルトレディ)が開始。
それに伴い「ガラス瓶の重量ならびに回収作業が婦人販売員には負担になる」という観点から、
1968(昭和43)年に容器をポリ容器&アルミ蓋へと変更、現在のスタイルへと定着します。
現在は「ヤクルト400」などのバリエーション商品も増え、世界中で愛飲者を増やし続けています。



マミー(森永)


森永が1965(昭和40)年に発売した乳酸菌飲料の定番商品。
はじめは1963(昭和38)年に「森永ドリンクヨーグルト」という名称で発売され、二年後に改名。
以降牛乳販売店の宅配用商品として定着。マミーの小瓶はけっこうどこの家にもあった記憶があります。
1981(昭和56)年に紙パックタイプが発売され、あの賑やかな動物パッケージもこの時に誕生。
瓶時代のマミーはネクターみたいなドロっと感がありましたが、
時代に合わせた改良が重ねられた結果、現在のマミーはかなりサラッとした味わいになっており、
後味もさわやかになっています。
一峰大二によるロボットヒーロー漫画「ミサイルマンマミー」はこの商品とのタイアップで
生まれた作品というのは有名な話。



パイゲンC(明治)


1967(昭和42)年に明治乳業が発売した乳酸菌飲料。名称由来は諸説ありますが、
乳→おっぱい→パイ、元気+ビタミンC→ゲンC =パイゲンCになった、と言われています。
宅配用の小さな小瓶は先行販売していた森永マミーと同様。
パイゲンCと言えば様々なキャンペーンを精力的に行っていた事も世代人には印象的で、
仮面ライダーシールをオマケに付けたり、紙蓋キャップのうらにスピードくじをつけて、
当たればプラモデルが貰えたり(明治乳業販売店で引き換え)、
クイズに正解したら抽選でオウム(生きた本物)がもらえたりと、あの手この手の販促活動を展開していました。
終売年は不明ですが、1980年代にはもうありませんでしたね。



カツゲン(雪印)


1956(昭和31)年、雪印乳業(現・雪印メグミルク)が北海道で販売を開始した乳酸菌飲料。
元々は1938(昭和13)年に販売された「活素(カツモト)」という、瓶入り乳酸菌飲料があり、
カツゲンはそれを発展させたもの。活力の給源、という意味を持たせるため「カツゲン」の名前が
付けられたそうです。その後、時代に合わせて若干リニューアル。1979(昭和54)年には甘みや酸味を
抑えた「ソフトカツゲン」が発売され、現在はこちらがメインのカツゲンになっています。
発売から半世紀以上経た現在も北海道で販売中。「スノーラック」「ローリー」「ローリーエース」といった、
後に続く雪印ブランド乳酸菌飲料の源流となった、歴史ある商品です。



ドリプシ(日本酪農協同)


♪まーいまい まーいにち 毎日牛乳♪の「毎日牛乳」ブランドをもつ日本酪農協同(本社・大阪市浪速区)が
販売する乳酸菌飲料。かつては宅配用商品として瓶タイプのものが販売されていていましたが、
現在は「ドリプシL」という名称になり、紙パック飲料として関西中心に流通しています。
発売年月日は不明ですが昭和40年代にはすでに販売されていた模様です。



ミルミル(ヤクルト)


1978(昭和53)年に販売が開始された新感覚の乳酸菌飲料、というか、
大腸ではたらくビフィズス菌に特化した形の商品。一本あたり120億個のビフィズス菌が入っていて、
乳酸菌飲料というよりヨーグルト飲料に近いです。発売当初、クレイアニメによるモーフィングCMが頻繁に流され、
強烈なインパクトを残しましたね。ミルミルはその効能もさることながら、ビフィズス菌という目新しい言葉も
新鮮で、ヤクルト・ジョアに続く新たな乳酸菌商品として確固たる地位を築きました。
一時期後継商品「ビフィーネM」に席を譲る形で販売終了しましたが、
2011年に再び復活。現在もなお多くの人々に愛飲されています。



ヨーグルッペ(デーリィ)


1985(昭和60)年、デーリィ牛乳ブランドで知られる南日本酪農が販売開始した乳酸菌飲料。
霧島山麓で育った牛の生乳をドイツから輸入したビフィズス菌・アシドフィルス菌・サーモフィルス菌で
乳酸発酵させて作っています。名前は社内公募によって命名されたのだとか。
当初は主に南九州地区中心に発売されていたのですが、
アニメや漫画で紹介されたり、東日本大震災時に関東のコンビニに並んだことから
(当時、震災で明治乳業の工場が操業停止状態になったため、同社の代替品としてヨーグルッペが使用された)
知名度が上がり、現在はアンテナショップ以外でも全国のヨドバシカメラや一部のドラッグストア、
ドンキホーテなどでも購入が出来る程販路が拡大しています。



リープル(ひまわり乳業)



四国・高知限定の乳酸菌飲料としてつとに知られる商品。
ゆえに高知での知名度はヤクルト以上。発売開始年は不明ですが、
半世紀近くに渡って愛されているというので昭和50年代からの商品でしょうか。
発売年も不明なら、どうやってこの商品が開発・誕生したのかも、現在の社長従業員含めて誰も知らない、という
何とも不思議な商品で、表記が「RIPPLE」(リップル)なのに商品名は「リープル」というのも不思議。
いろいろと謎が謎呼ぶ商品なのですが、味も不思議の一言。
乳酸菌飲料の味わいだけではない爽やかな甘みと香りが独特で、
ひまわり乳業広報担当の方も「リープル味、としか例えようがない」という程、独自の味わいを醸し出しています。
東京では銀座一丁目にあるアンテナショップ「まるごと高知」にて購入が可能。



関東レモン(栃木乳業)


戦後間もなく、栃木県の乳業メーカー「関東牛乳」が製品開発・販売開始したとされる乳飲料。
戦後間もない時期は砂糖の統制が厳しく、甘味に飢えていた子供達に栄養をと考え、
砂糖と香料を入れて、爽やかな甘みと味わいを表現しています。香料や着色料(黄色4号)で黄色くなっているので、
色がレモンみたいだということで「レモン牛乳」という名称に決定。
無果汁という表記の表すように、レモン果汁は一切入っていません。
栃木県内を中心に流通し、学校の購買などでも販売された事もあって、
児童や学生の間では抜群の知名度を誇り、人気商品となりましたが、
2004年に販売元の関東牛乳が廃業、同時に商品も終売してしまいました。
が、同県内の「栃木乳業」が関東牛乳から無償でレシピを譲り受け、翌2005年から販売再開。
現在は乳製品の表記法が改定されたことから「レモン牛乳」の名称が使えなくなり(コーヒー牛乳名称不可と同理由)、
「関東・栃木レモン」という商品名に。また着色料もかつての黄色4号からクチナシ色素に変更されています。
東京ではスカイツリーにある「とちまるショップ」にて購入が可能。





こうしてみると、本当に数多くの乳清乳酸菌飲料が発売されていますね。
終売のものもありますがどれもこれも印象的な味わいで、多くの人に愛好された商品でした。
近年では健康志向から、低脂肪・脂肪0・カロリーオフの商品も登場。
アレルギー体質の人向けに「乳成分を使わない乳清飲料」なんてのまで出てきたり。
時代の変化と共に商品も進化しつつある、ということでしょうか。
ではまた次回。



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