2020年も押し迫ってまいりました。
なんかこのコーナーも地味〜に長々とやってますな。
という訳で今回はこちらの御題。



消えた家電量販店の噺



うだうだ子ちゃん。家電をして「3種の神器」だの「3C」だのと崇め奉っていた昭和の御世、
家電販売店はさながら文化生活へと誘う一種の洗礼式場の様相でした。
その後価格競争から来る激安合戦の場へと変わり、今は一律的な需要ではなく、
細かいニーズに合わせた商品の展開など、
家電量販店の方向性も日々変化しております。が、今はネット通販が
小売業の主流になりつつありまして、土地と建物を構えて膨大な商品を
取りそろえる店舗販売型は厳しい状況にあると言えます。
固定資産税や人件費など、店舗型はリスクも多いですしね。
気がつけば馴染み深い家電量販店が結構な数消滅している事に気づかされます。
今回はそんな消えた家電量販店さまを8つほどチョイスしてみました。





ニノミヤムセン
















終戦の年の1945年に大阪の日本橋で「二宮無線電機商会」として創業、
電子パーツの卸商として開業しました(ラジオ部品など)。大阪では上新電機と並ぶ「日本橋の雄」として知られ、
最大20店舗を近畿各地で展開していました。
TVCMも多く流し、関西ではその名を知らない人はいないほど浸透していたのですが、
1990年代のバブル崩壊で経営が悪化。
2005年には負債総額280億円を計上し会社更生法を申請、2006年に家電販売から撤退。
殆どの店舗を閉店し、本来の電子部品販売のみに集中し再起を図るも経営改善はならず、
2007年5月をもって営業停止。
2008年の株主総会で法人解散が決議され消滅しました。




中川ムセン
















昭和23年に京都に創業した老舗電器店で、正式名称は中川無線電機。
その後、本社を日本橋に移転し、ニノミヤと並ぶ大型家電量販店として名を馳せ、
昭和50年代には中川ムセンテレビショッピングなる通販事業も展開していました。
しかしバブル崩壊後経営が落ち込み、家電の売り上げが低迷。
2001年11月から方針を転換し、家電より日用品や雑貨といった商品に
シフトしたディスカウントショップ「ナカヌキヤ」へと店舗形態を変更。
一時は30店舗まで伸ばすものの経営改善はならず、
2005年を以て中川無線は店舗事業より撤退。ナカヌキヤも2013年に消滅しました。



和光デンキ
















1950年、大阪天王寺で生まれたタキイ商事なる会社が1958年に設立した家電商店。
TVCMを関西一円で放送しており、またTVショッピングなども行うなど、
積極的な営業戦略を展開していました。郊外への出店も多く行い、
関西にとどまらず四国、さらには台湾にまで出店。
1995年には100店舗を達成しました。
2000年代に入ると多角経営・他店舗との業務提携に積極的になり、
ヤマダ電気と共同で「wakoヤマダ」という店舗を出店したり、
ドン・キホーテと業務提携して「超激安の殿堂 by WAKO」など、
さまざまな店舗展開を行うも失敗。2003年に民事再生法手続きを申請し、
2005年には経営を断念・解散。56年の歴史に幕を下ろしました。




ロケット
















もとは1946(昭和21)年に秋葉原に開業した江川電気商会という会社。
その後改組して1956(昭和31)年に「ロケット商会」と名称を変更。
秋葉原において格安の家電を売る事を目玉にしていて、カラフルな店舗装飾やド派手な垂れ幕、
POP看板など人目に着く広告戦略で話題を呼び、他の家電量販店の広告戦略にも
影響を与えました。ちなみに「激安」という造語はこの店が発祥とも言われています。
一時は関東で30店舗を誇るほど隆盛を極めましたが、
バブル崩壊とともに経営が悪化。その後店舗縮小や人員整理を行うも改善は見られず、
2000年には会社更生法を申請、2007年には秋葉原の店舗を全店閉鎖。
2008年に破産手続きをして消滅しました。




ミドリ電化
















1957(昭和32)年に兵庫県尼崎市に開業した電器店。
開業当時はミドリ電化社という名称でした。その後「ミドリ電化」と名称変更し、
兵庫県のみならず近畿一円から千葉県まで出店するなど、
経営を拡大して行きました。TVCMの「やってみますのミドリちゃん」シリーズは
マスコットキャラのミドリちゃんがオリジナルソングに乗っていろいろ「やってみます」という
楽しいもので、関西での知名度も高かったのですが、
ヨドバシなどの関東系大型量販店が進出してきた平成中期には次第に苦境に立たされ、
また社の方針として非上場を貫いたため資金調達に苦慮するようになり、
2005年にエディオングループの子会社になり、2009年に法人としてのミドリ電化は解散しました。




石丸電気
















1945(昭和20)年に秋葉原に開店した家電店。開業当時の名前は石丸電気商会で、翌年に「石丸電気」となります。
秋葉原を中心に15店舗を展開し、特にレコード、ビデオソフト等のソフト販売に精力的で、
長年の間、日本最大級のレコード店としても知られていて、
「他では手に入れられなくてもここに行けばある」と、日本全国からマニアが詰めかける店としても有名でした。
1990年代には関東全域に36店舗を展開するほど拡大路線を歩んでいましたが、
バブル崩壊期になってからの拡大路線は結果的に裏目に出て、郊外に出店した店舗は次々閉店。
その後経営を立て直すため様々な業務提携を行い、
2006年にエディオングループの傘下に入り完全子会社化。
2009年にエディオン傘下のエイデンに吸収合併される事になり、法人としての石丸電気は消滅します。
本店ビルも2015年に解体され、現在は住友不動産のビルが跡地に建てられています。



サトームセン
















元はラジオなどの電子部品商として1948年に「佐藤無線研究所」として設立。
その後家電品小売に進出し、秋葉原を中心に8店舗を構えるほどに急成長。
♪あなたの素敵な秋葉原 サトームセン♪というCMソングは関東在住の人には
馴染み深いものになりました。しかしバブル崩壊の1990年代以降経営が悪化。
郊外型量販店に次第に追いつめられる形で、
2005年にマツヤデンキと業務提携。不採算店舗を整理したりして再起を図りますが、
やがてマツヤデンキともどもヤマダ電気に吸収合併。2013年で67年の歴史に幕を下ろします。



でんきのナカウラ
















秋葉原の老舗電気店として、終戦直後の1947年に「中浦商店」として創業。
その後「中浦電気商会」を1954年に設立し、「でんきのナカウラ」に社名変更。
戦後、日本の家電化が一気に進むにつれ急成長し、チョウチンアンコウのトレードマークとともに
秋葉原では確固たる地位を築きました。
ちなみにアンコウのマークには「深海でのんびり、しっかり生活するチョウチンアンコウのように、
現代社会においても時代の中で自分を失う事なく、のんびり、しっかりと生活していこう」
という意図が込められていたとの事です。その後食品業界にまで手を拡げるなど
多角経営に乗り出しましたが、次第に郊外の量販店に顧客が奪われるなどして経営が悪化。
やがてラオックスの子会社になり、2005年に完全吸収合併。法人として消滅し、解散します。




こうして見ると、家電量販店にとってバブル崩壊というのは激震だったんだなぁって事がわかります。
また家電の持っているイメージや価値というのも時代の推移によって変化していっているんだなぁという事も。
コンビニや銀行同様、吸収合併を繰り返し再編していかないと生き残れない過酷な業種なのですな。
残るは耳になじんだ店舗のテーマソングやCMの記憶のみ…というのもさみしいのですが。
では次回。



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