最近やたらと定番のお菓子が製造中止になったというニュースが駆け巡っておりますね。
少子化による需要の低下、味の趣向の変化など
いろいろ理由はございましょうが哀しい限り。
という訳で今回はこちらの御題。



ユニークチョコレート菓子の噺



うだうだ子ちゃん。今でも駄菓子系では定番ですが、昭和の頃は大手メーカーも
こぞって遊び心あふれるお菓子を多く発売していました。
ユニークなオマケやお菓子自体で遊べるモノなど、
その種類は多岐に渡ります。
今回は現在販売中のモノや終売したモノも含め、
ある意味邪道ともいえるユニークなチョコレート菓子を
いくつかピックアップしてみました。










フィンガーチョコ(森永・カバヤ)


1955(昭和30)年に森永が初めて発売したチョコレートスナック。
フィンガービスケットと言われる長細いビスケットを
チョココーティングしたもので、
誕生日会やクリスマスパーティーにおける
大皿お菓子の定番となりました。このヒットを受けて
大小様々なメーカーから類似品が発売されましたが、
菓子の趣向の多様化から各社とも次第に撤退。
本家である森永も製造を終了し、
今現在残っているのはカバヤのみ。
カバヤのフィンガーチョコレートは1960(昭和35)年に発売。
ミルクチョコレートでコートされていた
森永製に比べると、現行品のこちらはセミビターと、
ややアダルトな味わいで甘さも控えめ。
大人も楽しめる仕上がりになっております。





パラソルチョコレート(不二家)

♪魔女がパラソル乗ってきた
 二人でパラソル食べちゃった
 魔女はおウチに帰れない
 パッパッ パラソルチョコレート パッ♪


1954(昭和29)年、不二家が発売したチョコレート菓子。
折りたたんだ状態の傘に見立てた円錐状に成型したチョコに
カラフルな柄が付き、ポップキャンデーみたいにペロペロ舐めれる
仕様になっています。
昭和50年代に放送されていたTVCMは
アニメの魔女と実写の少女が競演するもので、
パラソルチョコに乗ってやってきた魔女が少女と一緒にチョコを食べ、
結果、家に帰れなくなった魔女が涙をポトポト落とすという、
なんか悲しくもマヌケなCMでした(普通、食べる前に気付くよね)。
食べ終わった傘の骨はカラフルなプラスチックの棒で、
先が矢印になっていて柄がクリスタルカット状に
細工されていました。ダイヤ型の柄の部分がなんか
「ダイヤモンドアイ」の使ってた杖のようで、
捨てられずずっと貯め込んでいたのが思い出されます。
ちなみに現在は普通の傘の柄や渦巻き等、
複数種に変更されています。





ペンシルチョコレート(不二家)


1960(昭和35)年頃、不二家が発売した
ユニークな形状のチョコレート。
パラソルとは異なり実物の鉛筆と同じサイズで、
筆箱に隠し入れて学校でおやつにして
食べる悪童もいたとかいないとか。
現行販売品は名前も「チョコえんぴつ」となり、
長さも旧商品の半分程度になってしまい残念。
ただあの六角柱のフォルムは健在で、
短くとも今なお現役で販売中です。








チョコベビー(明治)


1969(昭和44)年に明治が発売した
一風変わったチョコレート菓子。
ペレットのように小さく成型されたチョコレートが
赤い蓋のプラ容器に詰まっていて、
好きな量だけチョコベビーの粒をザラザラと食べるという、
従来の板チョコとは異なる食べ方を提唱した一品。
通年通して売れるようにと、
溶けにくい特殊なコーティングを施していて、
故に独特の食感があるのもこの商品の特徴。
それでもポケットに入れていたりすると体温で溶けて、
容器内で癒着してしまうという経験は
一度は皆経験しているかと。発売から既に半世紀。
今も当時と変わらぬスタイルで売れ続けている
ロングセラー商品です。





カプリコ(グリコ)


1970(昭和45)年に江崎グリコが発売した風変わりなチョコスナック。
一見アイスクリームコーンのように見えて、実はエアインチョコレート。
かじるとホロホロと溶けるチョコが独特の食感と
舌ざわりでアピールしてきます。当時すでに浸透していた
同社のアイス「ジャイアントコーン」のチョコ版?と見ていたのですが、
実はこの菓子「歩きながら食べれるオシャレな菓子を目指して作った」
ものだそうで。1970年当時は歩行者天国が誕生した年で、
カップヌードルもそうですが、当時は「歩きながら食べるのがオシャレ」
とされていた時代でした。カプリコはその後バリエーションを増やし、
最近では「ミニカプリコ」「カプリコの帽子」なんて商品も売られ、
好評を得ています。










ソフトチョコレート(森永)


1932(昭和7)年に森永が発売した新感覚のチョコレート。
諸説ありますが、元々型崩れしたり割れてしまった
チョコレートを再利用出来ないかという発想から、
水飴とチョコを煮詰めて混ぜたところ、
水飴の影響でチョコが固まらずゲル状になったところから
チューブに詰めて販売したものが
このソフトチョコだという話があります。当時の練り歯磨き同様、
金属のチューブに入れられていて、
パンやビスケットに塗って食べるのが基本でしたが、
直接チューブを吸う傍若無人な輩も結構いたそうで。
金属製チューブなのであらぬ方向に曲がり、
そこからチューブが破けて服のポケット内にぶち撒けた、なんて子も。
現在森永は製造を終了していますが、
フルタ製菓が「チョコソフト」という同様の商品を現行品として販売中。
チューブを直接チューチューする児童は
令和になっても存続している模様です。






チョコロン(明治)


1970(昭和45)年に明治が発売した新感覚のチョコレート菓子。
商品名にチョコが付いていますが、
メーカー的にはナッツケーキという呼称をしていました。
一口大のドライシューの中に
クラッシュピーナッツをふんだんに詰め、
さらにシューの外側をチョココートと
クリームで固めるという豪華仕様。
溶解し互いに貼り付くのを防ぐ為、一個一個仕切られて
包装されていて、当時フーセンガムが10〜20円の時代に50円という
高額で販売されていました。発売当初は好評をえて、
遠足の人気のおやつにもなったのですが、チョココートの為に
夏場は溶けるので販売が出来ず、また3個50円という
高価さもネックで、やがて市場から姿を消すことになりました。
しかしドライシューを用いたこの製菓技術は、
その6年後の1976(昭和51)年に「ポポロン」として大成し、
市場に君臨する事になります。









シガレットチョコレート(森永)


1960(昭和35)年、不二家が発売したユニークなパロディ菓子。
タバコを模した細長い円柱チョコにタバコの外装風の銀紙が巻かれ、
一種のなりきり菓子として売り出されたもの。
子供は何かにつけて大人の趣向品を真似たがるもので、
これもポケットにいれて一本取り出し、公園で一本プハーっ、
なんてことして遊んでたものです。
もっとも、チョコなんで銀紙取らないと食えないのですが。
その後数十年に渡って発売されていましたが、
平成に入り社会が嫌煙化すると、あおりを受けてか
次第に見かけなくなり、ひっそりと終売。










ハイクラウン(森永)


1964(昭和39)年に森永が発売した高級チョコレート。
当時10〜50円が相場だったチョコレート市場に
70円と言う高価な値段で参入し話題を呼びました。
タバコを思わせる箱、
高級品を想起させる細かな包装
(板チョコ2ブロックで一包装)が特徴で、
これは「一口サイズでおしゃれに食べられるように」
と考えられて生まれた仕様だとか。
これが見事にあたり、値段の高さもなんのその、
大ヒットしました。森永はこの成功に気を良くして
高級志向の「ハイ」シリーズを継続。
その結果生まれたのが「ハイソフト」(1969)と言われています。
高原列車の窓側の席にたたずむ美女が、
列車の窓際にハイソフトとハイクラウンを置いている…
そんなCMがあったように思うのですが、
こういう「旅のおともにハイシリーズ」という宣伝戦略も
見事購買層の心を掴んだと思うのです。
残念ながら森永が菓子路線を縮小するにあたり、
このハイクラウンも現在は生産数が減ったため、
市場で殆ど見かけません。




アポロ(明治)

1969(昭和44)年、世がアポロ11号の月面着陸で大騒ぎしている時期に
突如明治から発売されたチョコレート。
ストロベリー部とチョコ部の二層からなるミニチョコで、
アポロ月面着陸船を想起させる円錐形の形状に
ギザギザのモールド。このギザギザが独特の食感を生み出しており、
50年以上経過した今なお、
当時から一切デザインの変更が無く、
完成された普遍的な形状であることを暗に物語っています。
もともとこの「アポロ」という名前自体は明治が
発売の数年前に商標登録していたもの。
ギリシャ神話の太陽神アポロンからとったもので、
「いつか商品名に使おう」と考えていたところ、
期せずしてアポロ11号のニュースが飛び込み、
結果としてタイムリーな商品となったそうです。





ペロティ&ペロタン(グリコ)

ペロペロキャンディ風のチョコレート、というべき商品で、
グリコが1970年に発売開始。
発売当初はホワイトチョコ&ミルクチョコの表裏二層円盤型チョコで、
ホワイトチョコ面にはイラストがプリントされており、
その鮮明なプリントイラストに誰もが驚きました。
このプリントイラストは実は透明パッケージの内側に
先にスクリーン印刷され、そこにチョコレートを流し込んで
成型し転写するという製法だったそうで。
このペロティは児童の間でも好評を博し、
またたく間に人気商品に。男の子用と女の子用のイラストが作られ、
男の子はレーサーや野球の漫画、
女の子は動物や少女漫画のイラストが描かれていました。
この3年後の1973(昭和48)年には姉妹品・ペロタンが発売。
ミニサイズのペロティで2個入り、
ストロベリー風味というのがウリでした。
こちらも当初は男の子・女の子用にイラストが描き分けられて
いましたが、やがて「ドラえもん」の1コマ漫画的なイラストに
統一。故にペロタン=ドラえもんという印象の人も多いのでは?
現在のペロティ・ペロタンは両方ともスクリーン印刷方式ではなく、
3D造型化し、さながら「食べる立体コピー」に進化を遂げています。


















ピコタン(明治)


1974(昭和49)年に明治が発売したチョコレート菓子。
チョコレートを長細いウエハースで包んだ
スティック状のチョコスナックで、
一袋に2本入り50円で発売されました。
内容量の割に高いなぁと思ったらこのお菓子、
今で言うところの「食玩」にあたるもので、
メインはおまけに付いてる「ピコタン人形」。
軟質プラ製の人型ブロックで、
頭・足・手などの隙間に別のピコタン人形を連結させることが出来、
さまざまな集合体を組み合わせて遊べるというシロモノ。
これが思いのほか大ヒットし、
一時期駄菓子屋などで偽物のピコタン人形が
販売されるという現象も発生(対策として後期発売の
人形の裏面に「明治製菓」のロゴが成型される)。
販売期間は不明ですが、70年代いっぱいで終売した模様。
ちなみに中身のチョコスナックはその後、ブルボンから発売された
「エリーゼ」(1979年)にほぼそっくりそのまま継承。
ピコタンの中身を味わいたい方はそちらを。





なんきんまね(明治)

明治製菓が1974(昭和49)年に発売したユニークなチョコ菓子。
落花生の殻を模した薄焼きビスケットをチョココートした菓子で、
中に本当にピーナッツが入ってるという面白味もウケ
大ヒットしました。大きさも重さも質感も本物の落花生そのままで、
モノマネ系菓子の秀作として今でもその名を留めています。
このなんきんまねの成功があればこそ、
のちの「きのこの山」「たけのこの里」「もろこし村」と
いった明治モノマネ菓子が次々生み出されたわけで、
なんきんまねは明治ユニーク菓子の礎となったと言っていいでしょう。












ハンコください(カネボウフーズ)




1985(昭和60)年にカネボウフーズ(現・クラシエ)が
発売したチョコレートスナック。
ハンコ、というよりスタンプを模したチョコスナックで、
実際にチョコ部分には「田中」や「山田」といった名字や名前が
逆向きにチョコ成型されていて、舐めて紙とかに押せばすれば
本当にチョコの捺印が出来ました(不衛生だけど)。
柄の部分はクラッカーなので「きのこの山」に近い感じ。
1990年に終売しましたが、その後期間・地域限定で
2000年に復刻販売されています。
(名字は「松坂」など多少リニューアル)
販売終了して久しいのですが
今なお復活が望まれる名作チョコ菓子です。









こういう遊び心にあふれたユニーク菓子っていうのは、
1970年代に火が付いて80年代にピークに達した感じですね。
90年代に入ると本格派を目指したりオサレ系に特化したりして、
菓子で遊ぶという感じの商品は一線から引いた印象があります。
子供って食べ物で遊ぶのが基本好きだから、
こういう遊び心ある商品は今後も続いてほしいのですが。

次回は何しようかな。
なんかやります。
ではでは。



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