かつては「アリバイ横丁」なんて言われ方もしてたアンテナショップ。
今の時代、菓子を買ったからそこに行ったよという
アリバイはもはや成立し得ないとおもうんですけどね。



日本銘品土産菓子の噺その弐



うだうだ子ちゃん。以前に行った日本全国銘菓シリーズ第二弾。
最近はネット通販の普及で全国津々浦々の銘菓を
簡単にお取り寄せできるようになりましたね。
全部が全部ではありませんが、以前に比べれば容易くなったと思います。
また、百貨店に諸国銘菓のコーナーがある場所だと
そこで買えたりしますしね。そんなおらが郷の産んだの銘菓たち。
100年近く昔のものから最近のものまで、あれこれチョイスした計十五品、
紹介していきたいと思います。










カステーラ(高橋製菓)


北海道旭川市にある、
1917(大正6)年創業の
高橋製菓が製造販売する
カステラ菓子。当時食料不足からくる
栄養失調の子供が
多かった現状を踏まえ、
安くて栄養価が高い菓子をと
考えた創業者・高橋樫夫が
長崎のカステラをヒントに
生み出したとされています。
発売は1921(大正10)年で、
当初は「棒カステラ」と
呼ばれていました。
戦後、学校給食にこの棒カステラが
選ばれると、ビタミンB1、B2を
添加した事で「ビタミンカステーラ」へと
名称変更。現在も味や製法を殆ど変えず、
「道民のソウルフード」として
愛され続けています。
普通のカステラと違い卵や砂糖は控えめで、
小麦粉の比率が高く、
故に水分量が少ない為
長期保存に適しており、
賞味期限は3カ月と驚異的な日持ちを
誇ります。都内では有楽町の
北海道アンテナショップで購入する
ことが出来ます。





オランダせんべい(端谷菓子店)

北海道根室市の端谷菓子店が
今も作り続ける独特の煎餅。
江戸時代、鎖国中の日本でオランダと貿易が許されていた
長崎県平戸に伝わった「おらんだ焼」という
小麦焼菓子が根室に伝わり、
定着したのが起源ではないかとされています。
おらんだ焼のネーミングの由来は
「煎餅の網目模様がオランダ人の靴跡に
似ているから」だそうですが、詳しい事は不明です。
根室では明治時代にすでに販売されていた記録があり、
多くの製造元が生まれたそうですが、現在は端谷菓子店のみ。
ワッフルのような外見ですが大きさは
直径16cmと昔のEPレコードほどあり、
煎餅といいながらもフニャっとした食感で、
噛んでもグニュ〜っと伸びて
なかなか噛み千切れない不思議なシロモノ。
小麦粉・砂糖・塩・重曹で作られており、
味わいはいたって素朴なものです。
都内では有楽町の北海道アンテナショップで購入可能です。








オランダせんべい(酒田米菓)

上記の商品と商品名は同じですが、全く別カテゴリの銘菓。
山形県の酒田米菓が1962(昭和37)年に発売開始した
サラダ味の薄焼き煎餅で、名前の由来は、庄内平野の水田風景が
オランダの景色に似ていると言う事と、
地元の方言で「私たち」を「おらだ」と言うことなどを踏まえ、
「私達、山形生まれの煎餅」ということで
「オランダせんべい」と名づけられたそうです。
1967(昭和42)年に放映されたローカルCMは、
当時16歳の山本リンダが出演・歌を担当し、
山形県民に強烈なインパクトを残しました。
現在も水島裕がCMを担当しており、人気を博しています。
煎餅自体は薄焼きのあっさりな味わいで、
優しいながらもクセになります。
都内では山形のアンテナショップで購入可能です。








白松がモナカ(白松がモナカ本舗)

1932(昭和7)年に仙台市に開業した
白松菓子店(現・白松がモナカ本舗)が
宮城県銘菓として作り上げた和菓子。
創業者一族の名字から
「白松(しろまつ・しらまつ どちらでも
呼称可。CMの影響で今は
「しらまつ」が一般的)」が
商品名に付けられ、「白松が」とは、
「白松(菓子店)のモナカ」という
意味だそうです。
餡の種類は栗・大納言・胡麻・大福豆の
4種類があり、
最中の大きさもミニから大型までの
4種類あります。宮城県の銘菓ですが
北海道でも知られていて、
道内では北海道銘菓として
扱われることもあるとか。
都内では全国銘菓を扱う百貨店などで購入出来ます。





泉屋のクッキー(泉屋)


1927(昭和2)年に発売開始された昭和洋菓子の老舗商品。
日本で初めて製造・販売されたクッキーと言われ、
その本格的味わいは当時から評判を呼び、
戦災や戦後の物資統制にも耐えてなお
今日まで伝統の味を守り続けています。
泉屋のクッキーで何といってもシンボリックな存在なのが、
会社のマークでもあり、缶の中央にも描かれている
浮き輪型のクッキー(リングダーツ)。輪の四方に散りばめられた
四つのドライフルーツが宝石のように埋まっていて、
他のクッキーより一際豪華に見えます。
ちなみに缶入りの詰め合わせだけじゃなく、
バラ売りもあります。無論リングダーツのみの詰め合わせも。
東京土産というより、贈答品クッキーの定番とも
言うべき歴史と伝統ある商品です。
東京各所にある泉屋各店舗・もしくは
東京の百貨店デパートで購入可能です。





ピーセン(榮太樓總本鋪)

銀座江戸一が1960(昭和35)年に
販売を開始した、もち米とピーナッツを
使用したスナック菓子。
四角い缶にエッフェル塔の
デザインされたパッケージは
「これは洋風のあられですよ」とアピール
するにはインパクト充分で、
程よい塩味とさくさくとした食感、
細かく砕いたピーナッツの味わいが
相まって、お酒のおつまみや
子供のおやつとして
大いに受け入れられました。
製造元の銀座江戸一は1990年代に終業し、
このピーセンも消滅したのですが、
「この味を無くすのは惜しい」と、
1999(平成10)年に
榮太樓總本鋪が製法を引き継ぎ復活。
さらにブラッシュアップさせて(油っぽさの解消など)
現在も販売を続けています。





十万石まんじゅう(十万石ふくさや)

埼玉県行田市の十万石ふくさやが
創業の1952(昭和27)年に
販売開始した和菓子。
江戸時代に現在の行田市にあった
忍藩の石高が10万石であったことに因んで
名前がつけられたとされています。
北海道十勝産のこしあんをつくね芋と
米(上新粉)、小麦粉を
混ぜて作った皮で包んだ、
いわゆる薯蕷饅頭の一種にあたります。
CMでもおなじみの
「うまい、うますぎる」の
コピーは版画家の棟方志功が担当し、
パッケージの姫の画も氏の手によるもの。
賞味期限が短い生和菓子の為、
基本的に埼玉県各地にある
十万石ふくさやの店舗で直接購入
するか、西新宿にあるナチュラルローソン
(埼玉県のアンテナショップも兼ねてる)で
購入するかして頂きたいと思います。






あんまき(各社)




1889年に小松屋本家創業者でもある
神谷為吉が考案したとされる三河地方の和菓子。
どら焼のような細長い生地で餡を巻いたもので、
池鯉鮒大明神の参拝客などに好評で、
口コミで美味さが伝わり、以後、「知立名物」として
つとに知られるところになりました。
有名な製造元として、小松屋本家と藤田屋の二軒があり、
元祖たる小松屋本家は今も当時の製法のまま、
手焼き製法を続けており、
一方の藤田屋はサイズの大きい「大あんまき」で商品展開。
揚げあんまき・チーズ・カスタードなど、
様々なあんまきバリエーションを展開し、
好評を博しています。







旅がらす(旅がらす本舗清月堂)


1958(昭和33)年に群馬県の菓子店「清月堂
(現・旅がらす本舗清月堂)」が販売開始した銘菓。
刀の鍔を模した薄い鉱泉せんべいに
ミルククリームを挟んだ、さながらゴーフルのような洋菓子で、
発売から50年以上経つ今も愛好者が絶えないロングセラー。
群馬県の推奨する優良県産品にも選ばれています。
旅がらすの名前の由来は
「神武天皇東征のとき、熊野の険しい山道を八咫がらすが導いて、
一行を先に進めた」という言い伝えをモチーフに、
「旅の案内をする『旅がらす』」として命名されたそうです。
バリエーションも多々有り、
チョコクリームなどを挟んだ「ゴールド旅がらす」、
製造小麦をブランド品に変えた「プレミアムゴールド旅がらす」、
クリームなしの鉱泉せんべいのみの「旅せん」などがあります。
東京や愛知でもTVCMを流していたこともあって、
他地域でも名称浸透度の高い銘菓です。





かげろう(福菱)

1967(昭和42)年に和歌山県白浜の製菓業
「福菱」が白浜銘菓として作り上げた銘菓。
柔らかくふわっと焼き上げた
煎餅ともサブレとも言えない
不思議な生地に、クリームをサンドした
焼き菓子で、口に入れた途端にほろほろと
崩れて消えてしまう
独特の食感は、「浜辺に漂う陽炎の様に
儚いイメージだ」ということで
この名前がついたとされています。
当初は製造工程の問題や
賞味期限の短さの問題があって、
白浜以外での入手が
困難極まる菓子でしたが、
オートメーション化に成功し
品質保持の技術向上によって、
和歌山市など白浜以外でも
販売されるようになり、
ネット通販も可能になりました。
新鮮なんだけどどこか
懐かしい、昭和の風味も漂う銘菓です。





月化粧(青木松風庵)




2010(平成22)年、大阪市岬町に本社を置く和菓子店
「青木松風庵」が新たな大阪土産として世に放った自信作。
しっとりやわらかなパフケーキ状の皮で濃厚なミルク風味の黄身餡を
つつんだ饅頭で、見た目が満月のように見えることから
この名前が付きました。太平サブロー師匠のTVCMも印象強く
(月化粧を模したかぶりものを着たスポット)、
その後、2013年から6年連続でモンドセレクション金賞を
受賞するなど、発売から十年経た現在、
今では大阪を代表する銘菓として
確固たる地位を築き上げています。






むらすずめ(橘香堂)


1877(明治10)年に倉敷市の橘香堂が
考案した菓子。小麦粉・卵・
砂糖等を用いた生地を
丸く薄く片面のみ焼き、
焼いた面でつぶ餡を包んだ
和製クレープとでも言うべき菓子で、
菓子の見た目がいぐさの編み笠に似ており、
編み笠を被って踊る豊作祈願の
伝統の夏祭りの踊り子を
「群雀(むらすずめ)」と呼んでいた
点から、当時の倉敷町長・林孚一が
「むらすずめ」と名付けたとされています
(諸説あり)。
主に倉敷市・岡山市の土産店などで
販売中です。




どじょう掬いまんじゅう(中浦食品株式会社)


1967(昭和42)年に中浦食品株式会社が
開発・発売した饅頭。
小麦粉の皮の中に白餡の入った饅頭で、
安来節に合わせて踊る『どじょう掬い』
に使う「ひょっとこの面」を
デザインしたその外見は、
見ても楽しいひょうきんさで
親しみを感じることが出来ます。
ローカルCMはフランス映画を
パロったユニークなもので、
マンジューという語感が
フランス語っぽいという点を巧みに突いた
ハイセンスなものに仕上がっています。







博多の女(二鶴堂)

1972(昭和47)年に
二鶴堂が発売した銘菓。
バームクーヘンの中に
小豆羊羹を巻き入れるという独特の菓子で、
先述のあんまき、前に紹介した
一六タルトにも
通じる和洋折衷の菓子です。
包装紙には博多人形が
デザインされていますが、
これは博多節の一節である
「博多帯締め筑前しぼり 歩む姿が柳腰」
を表現した画が欲しい、と
いうことで、足しげく県内の
博多人形店を見てまわり、
やっと見つけた人形が
モデルになっているそうです。
福岡県の土産物店や
百貨店などで購入出来ます。





ひよ子(吉野堂(ひよ子))


1912(大正元)年に福岡県飯塚市にある菓子舗
「吉野堂」が製造販売を開始した菓子。
小麦と卵から作られた皮に白インゲン豆の餡を
内包した饅頭で、特徴的なひよこの形の理由は
発案者である吉野堂二代目店主の石坂茂が
「大勢の人に愛される、従来の丸い形ではない饅頭を」と
考えて悩んでいた時に、自らがヒヨコで埋め立てられる夢を
見たのがきっかけと言われています。
1957(昭和32)年に福岡の天神に出店した事がきっかけで
知名度は一気に福岡県全域に浸透。辛子明太子とならぶ
定番の福岡土産の一つとなりました。
1964(昭和39)年、東京五輪を契機に東京に進出。
東京駅や羽田空港で販売した事から「東京土産」として
急速に認知されることになり、「福岡の人に東京土産として
『ひよ子』を持っていく」という珍現象が
見かけられるようになったことで、
福岡で製造された「ひよ子」のパッケージには
「博多」の文字を前面に入れるなどの対応をしているそうです。





今後も新たな銘菓は生み出されていくんでしょうか。
それも味わってみたいという興味はありますが、
「本格パティシエが監修・匠の味を再現」とか、
「有名コンフェクショナリーショップと提携」云々というのは違うかな。
それはもう土産銘菓とは別の次元の話と思うので。
土産菓子って、その旅行先を想起させて、どこか懐かしみを覚え、
どこかチープさもあったりする、そんな菓子がいいですよね。

次回は何しようかな。
なんかやります。
ではでは。



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