あー。何気にこのコーナーも30回目。よくもまあ続いてますねぇ。



ふりかけの噺



うだうだ子ちゃん。ふりかけというと、昭和の食卓の定番品でした。
今でこそ昔懐かしい味わいの認識ですが、
当時はむしろ「ごはんを変身させる贅沢品」。
白米を縦横無尽にデコレートする名ドレッサーたちを
今回は紹介していきましょう。












錦松梅(錦松梅)


佃煮製造販売を主とする株式会社錦松梅が販売する高級ふりかけ。
錦松梅創業者の旭翁氏が食道楽で作ったとされます。
発売年は1932(昭和7)年と言われ、
鰹節・白胡麻・椎茸・キクラゲ・松の実などが主原料。
嗜好品・高級品としても知られ、
霧の箱に有田焼の陶器に入れて販売されているところなどからも、
贈答品として認知されているようです。
もっとも、普通に錦松梅のみ味わいたいという方には
箱・陶器なしの袋売りもありますのでご安心を。










御飯之友(フタバ)



もとは大正末期、熊本の薬剤師だった吉丸末吉氏が
「日本人はカルシウムが不足している。うまく補える方法を」と考えて、
魚の骨を粉にしたものに味付けし、
ご飯にかけてたべる方法を提唱。
これが結果として「御飯之友」となったとされます。
1934年(昭和9年)に「御飯の友」の製造販売を
二葉商事(現在のフタバ)が引き継ぎ、
現在に至っています。
現在数多あるふりかけの「ルーツ」でもある由緒正しき商品。
カルシウム補充を重視した点から、
主原料が「いりこ」であるというのも本商品の特徴でもあります。









旅行の友(田中食品)


1916(大正5)年に誕生した、鰹節・海苔を主原料としたふりかけ。
元々は日本が戦時下に突入していく時勢にあって
「南方の戦線でも腐らない、栄養価の高い保存食を」と、
海軍の依頼を受けて、広島・呉の漬物商だった田中食品が開発。
いわば戦時下における栄養保存食だったのですが、
戦後、1954(昭和29)年には「旅行の友」として、
行楽用の弁当用にとデザインをカラフルなものに一新。
パッケージのキャラクター「トモちゃん」はこの時に
誕生しています。現在はザ・広島ブランドとして認定され、
発売から100年を経た現在も多くの人に愛され続けています。











のりたま(丸美屋食品工業)

丸美屋食品工業が1960(昭和35)年に発売開始した新感覚のふりかけ。
丸美屋食品の創業者・阿部末吉が「旅館の朝食のような雰囲気を家庭でも
手軽に味わえないか」と考えたのがきっかけで、
材料に卵と海苔を使ったふりかけを提唱・
開発しました。卵黄を顆粒にするというアイディアは
他に類をみない斬新かつ画期的なものであり、
瞬く間に魚粉主流のふりかけ業界に一大旋風を巻き起こしました。
その後、1963年に始まったテレビアニメ
「エイトマン」のスポンサーとなった際に
エイトマンシールのおまけを付けたところ、記録的な大ヒット。
以降認知度は一気に浸透し、いまやふりかけの顔役的存在にまでなっています。











すきやき(丸美屋食品工業)


1963(昭和38)年に丸美屋食品工業が発売した新商品。
家庭のごちそうの代名詞でもあるすきやきをふりかけに、という
大胆な発想は驚きをもって迎え入れられました。
割りしたをモチーフにしたタレ味の粉末に牛そぼろ風の顆粒は斬新で、
多少濃い味ながらもヒットしました。
時代の変化に応えて、塩分の減量などの改訂を
行ってきましたが、現在も発売中です。













チズハム(丸美屋食品工業)


1964(昭和39)年に丸美屋が発売した
世にも稀なる「洋風ふりかけ」。
顆粒状のチーズとハムを模したそぼろが混ざったふりかけで、
温かい御飯に乗せるとこれがじんわりと馴染んで、
さながらドリアのようになる…
というシロモノ。ただ、東京オリンピック(1964)当時において、
チーズにごはんという組み合わせが一般的であったかというと甚だ疑問で、
のりたまなどの王道品に比べると明らかなキワモノ扱い。
一部にハマる人はいたようですが早々に撤退。
ただそのキワモノ的味が強烈なインパクトを残したものか、
後年再発売もされています。










三色パック(丸美屋食品工業)




1968(昭和43)年に先述の「のりたま」、
そして「たらこ」「ごましお」を一つの容器に入れ販売開始した混成商品。
元々は自身の発明品をテレビで紹介するという番組が当時あって、
そこで当時小学校2年生の少年が段ボールで作った
「三つのふりかけが食べられる容器」を発表し、
これに丸美屋が感嘆し、容器に採用したのが始まり。
ただ、TVで公開したというのが災い(?)して実用新案特許が取れず、
発明者の男の子には特許料の替わりに
丸美屋から百科事典とカラーテレビが贈呈された、という逸話が残っています。
大抵はのりたまが先に枯渇し、次いでたらこが無くなり、
ごましおのみ居座り続けるというのがデフォでしたね。







ゆかり(三島食品)

1970(昭和45)年に三島食品が発売開始した赤ジソふりかけ。
元々は古屋周辺で食べられていた赤ジソの漬物を
ヒントにして開発されたと言います。
当初は赤じその香りと色合いを乾燥化しても保つ事が難しかった為、
商品完成まで相当の試行錯誤があったそうで。
発売当初はあまりにも斬新過ぎる商品だった為売れず、返品の山が出来たとか。
その後、学校給食で採用されていた東海地方で
子供を経由して親に美味が伝わり、やがて口コミが伝播し
ヒット商品になり、今では確固たる地位と売上を誇る商品となりました。
姉妹品に「かおり」「あかり」なんてのもあります。











知床しぶき(江崎グリコ)

1973(昭和48)年に江崎グリコが販売開始したふりかけ。
弁当添付を目的とした仕様で、一箱に小袋七つ入りというスタイル。
知床しぶきというのはいわばグリコの提唱した
御飯食用添付小袋食品の総称で、他にお茶漬けもあったそうです。
まんが日本昔ばなしのスポンサーを江崎グリコが担当していた関係もあって、
パッケージにはキャラクターが印刷され、
TVCMも同番組の合間によく流れていました。
桜田淳子・新沼謙治・前川清などの
有名タレントもCMに起用され、いかに当時江崎グリコがこの商品に
力を注いでいたかが伺えます。
残念ながら現在は販売終了。










味ぶし(永谷園)

1978(昭和53)年に永谷園が発売したふりかけ。
一食単位の個別包装で各4食分入りで発売され、
当初「味ぶし(かつお)」「鮭っ子(しゃけ)」のみでしたが、
人気が出るに従って「カレー教室」「焼き肉」「焼たらこ」と
バリエーションが増えていきました。
CMには当時人気絶頂のザ・ドリフターズが
学校コントのいでたちで出演。子供たちにバカ受けし、
一気にふりかけ市場でシェアを獲得しました。
その後、食卓の趣向が変わり、
日本のふりかけ市場が次第に縮小傾向に向かう中で
販売を終了しました。






おそ松くんふりかけ(丸美屋食品工業)

1966(昭和41)年に
丸美屋食品工業が発売した
キャラクターコラボ商品。
これ以前にも「エイトマンふりかけ」
「スーパージェッターふりかけ」も
手がけていましたが、
この「おそ松くんふりかけ」は
販売期間がかなり長く、
放送終了後も販売されていました。
故に他商品に比べて
認知度も高いようです。
味は魚介系ふりかけと
記憶していますが。
(かつお&みりん系という意見も)













ふりかけという食文化は、食品の長期保存技術が難しかった時代の発明品の一つですね。
御飯にふりかけるだけで白米が一瞬でご馳走に変わるという…。
フリーズドライなんて技術など全く無かった時代、
魚や卵や肉をいついかなる場所でも食えるようにするには?
そんな先人たちの苦労の結晶を噛みしめながら味わうのもいいものですよ。

次回は何しようかな。
なんかやります。
ではでは。



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