最近やたらと定番のお菓子が製造中止になったというニュースが駆け巡っておりますね。
少子化による需要の低下、味の趣向の変化など
いろいろ理由はございましょうが哀しい限り。
という訳で今回はこちらの御題。



消えた昭和菓子の噺



うだうだ子ちゃん。かつて定番とまで言われていた菓子が気がつけば「最近見ないなぁ」状態に。
調べたらとうの昔に製造が終わってた、なんて例はままあります。
「ああ、そんな事ならあのときもっと食べておけば良かったなぁ」と
後悔する事しきり。今となっては後の祭りなのですが。
今回はそんな消えた菓子から十一選&番外編の計十二品、
想いを馳せつつ紹介していきたいと思います。










チョコフレーク(森永)


1967(昭和42)年、森永がシリアルスナックとして売られていた
コーンフレークをチョコレートでコートするという発想で
売り出した画期的なチョコレート菓子。
当時ミニの女王として若者のファッションリーダーでもあった
ツイッギーをCMキャラクターに起用するなど、
ヤング向けハイセンススナックとして売り出していました。
結構箱の中のアルミパックの中でチョコが溶けてしまってて、
手がベタベタになったのも懐かしい思い出ですが。
バリエーションでイチゴチョコフレークや
抹茶チョコフレークなどもあったそうですが、
2019年(平成31・令和元年)をもって製造終了。
52年の歴史に幕を閉じることになりました。





仮面ライダースナック(カルビー)


1971(昭和46)年にカルビー製菓が発売したスナック菓子。
馬鈴薯粉と小麦粉を練って、桜か星状に成型した
焼菓子を練乳を混ぜた水飴でコートしたもので、
味はお世辞にも美味しいとは言い難い、
甘ったるいシロモノでしたが、
おまけのライダーカードが社会現象になったこともあって、
一時期はライダースナックだけで年商40億、
一日の売上だけで60万袋以上売ったという化物商品。
カードほしさに子供が箱買いし、スナックを大量投棄して
新聞沙汰になるなど狂乱振りが加速していきました。
その後ライダーブームが沈静化する1973年末には販売終了。
その後「カルビープロ野球チップス」へと
繋がるカード付きスナックの先駆けとなりました。
ちなみにライダースナック自体は今は製造されていないものの、
近い味として「鯛あられ」なる菓子が現在売られています。
もっともこちらはライダースナックより
はるかに美味しく仕上がっておりますので誤解の無い様。



ポポロン(明治)




1976(昭和51)年に明治製菓が発売したチョコレートスナック。
ドライシューの中にチョコを入れたまさに「小さなチョコシュー」で、
女子学生の間でたちまち人気を呼び
ヒット商品となりました。
♪ポポロン ロンロン ポポロンロン♪というガーリーな
テーマソングのCMも好評で、
遠足やパーティのお菓子の定番になっていたのですが…
需要の減少(少子化の影響か?)により2015(平成27)年をもって製造終了。
代替の商品が無いだけにファンにはショックなニュースでした。







さくさく小判(ロッテ)


1978年にロッテが発売したライススナック。
当時食糧庁が大量の余剰備蓄米に頭を抱えていて、
各食品メーカーに「米を使った新商品を開発して欲しい」
陳情に回っていたとも聞いており、この時期の前後、
日清が「カップライス」カルビーが「コメッコ」ロッテが「ごん米」、と
様々な米を原材料とした商品を世に出していました。
さくさく小判はロッテが「ごん米」を発展解消した形で
新発売したライススナック。
その後長年に渡り発売され続けてきましたが、
ロッテがスナック部門を縮小した事で
ほどなく製造終了しています。(製造終了年は不明)








スポロガム(グリコ)

板ガムにカタヌキの遊びを取り入れた「遊べるガム」
1974年にグリコが発売し、そのオモチャ感覚も手伝って大ヒットしました。
グリコ同様オマケもついていて、宇宙戦艦ヤマトブームのときは
ヤマトのプラスチックプレートが入っていた記憶があります。
その後、グリコのガムがキスミントのような
大人向け・フレグランス趣向に方針転換する
1997年にひっそり製造を終了しました。












スピン(森永)

アメリカの会社ゼネラルミルズと森永が共同で作ったコーンスナック。
日本国内では1969(昭和44)年発売開始で、
カレー・チーズ・バターの3つのフレーバーで発売されました。
現在は森永がスナック部門を縮小してしまったため市販の流通はありませんが、
「スナックの素」として、揚げる前の状態で業務用販売は続いています。
フレーバーは付いていないので、お好みの味付けをして
当時のスピンの味を自分の手で復活させる事は出来ます。












ライスチョコ(トーサン)


1953(昭和28)年にトーサンが発売した
チョコレート菓子。ポン菓子をチョコで包んだもので、
当時の子供の買い食い菓子の定番の一つでした。
「20円じゃ今時何も買えないよ!」「ライスチョコがあるじゃないか!」
「父〜さん!(社名にひっかけたシャレ)
という1970年当時のCMは
今でも覚えているオジサマも多いのでは?
その後、会社名はトーサンから東チョコへと変わり、
ライスチョコは主力商品として販売継続していましたが
2015年以降商品情報が途絶え、商品も店頭から消滅。
独特の香ばしいポン菓子に甘いチョコのアンサンブルは
唯一無二の味だっただけに、今尚あの味を捜し求めて、
当時の味を再現しようとする人も多数存在します。






チョコベー(森永)


1972(昭和47)年に森永製菓が発売した
チョコレート菓子で、バー状のヌガーをナッツを
混ぜたチョコで包んだもの。発売当初、
牧歌的ながらも不条理な印象のCMで
子供たちの話題をさらい、人気商品になりました。
その後、おまけとしてつけた
「べぇ〜シール」が社会現象になるほど大ヒット。
その後価格改定やおまけの変化に伴い
人気は下降。1978年をもって販売終了となりました。
販売期間は僅か六年。知名度のわりに短命な商品でした。








カルミン(明治)




1921(大正10)年、当時「東京菓子株式会社」と
名乗っていた明治製菓が発売。
炭酸カルシウムの配合された白色のミント錠菓で、
カルシウム+ミントの合成語で
「カルミン」という名前になったそうです。
時が経つにつれて「ココア味」「パパイヤ味」
「チェリー味」「イチゴ味」
など、様々なフレーバーのものが発売されました。
しかし明治の方針転換によって菓子部門が縮小されることになり、
2015年3月末をもって生産を終了。発売から94年の歴史に幕を下ろしました。







ピックアップ(明治)

1970(昭和45)年に明治製菓が「カール(1968)」に続いて
発売したコーンスナック。
独特の網目状の形態は火が通りやすくするためと、
歯ごたえ・食感を高めるために考案されたものだそうで。
カールと違い歯の裏側にへばりつくような
ねっちょり感は無く、あっさりサクサクな味が楽しめます。
チーズ味とコンソメ味があり、実はスナック菓子にコンソメ味を
採用したのは本品が最初。
パッケージのマスコットの「ペンギンシェフ」は当初は存在せず、
近年になって追加されたものだそう。
2017年に明治がスナック部門を縮小すると同時に製造終了。
47年の歴史に幕を閉じました。







チューレット(森永)

1956(昭和31)年に森永製菓が発売した「食べられるチューインガム」。
子供が飲み込んでも大丈夫なように、という観点から
チューイングキャンデーとして作られました。
当時は一個20円で販売され、「ガムとキャラメルを混ぜたような菓子だ」と、
その目新しさも手伝ってヒット。
森永がディズニーキャラクター使用権を獲得した60年代初頭には、
ディズニーキャラでこのチューレットが売られた時期もありました。
1975(昭和50)年、チューレットをさらに改良した
「ハイチュウ」が完成すると、
後を譲るように製造を終え、表舞台から消えました。









番外編ものいふせんべい(聲菓社)

これのみ大正時代の商品ですが、興味深い菓子なので特別に。
元は落語家の三代目桂春団治のアイディアにより生み出されたもので、
「レコードでな、聞き終わった後、食べれるレコードあったらオモロイで」
という発想から作られた前代未聞の商品。
堅焼きせんべいにべっこう飴をコーティングして、
そこに製盤機で溝を掘るという形で造られました。
無論収録されたのは春団治の落語。
通常のレコード針には耐えられない強度だったので、
別途に竹串製の針が添えられ、湿気でやられないように
ブリキ缶に梱包されて販売されたのですが…
当時的に値段が高かった事
(現在の価値に換算すると1万円以上。…せんべい一枚で)
一回再生すると溝が削れてしまってもう聴けない事
(飴とせんべいですから耐久性は低いですよね)
などあって殆ど話のタネ程度にしかならず、
まったくと言っていいほど売れなかったとか。
その後、後続商品がほぼ見られなかったところを見ると、
画期的過ぎたようですねこのせんべい。




味の趣向の変化、少子化による菓子需要の減少、原材料費の高騰による不採算…
いろんな理由はあるのでしょうが、
慣れ親しんだ味がこの世から消滅するというのは
何ともやるせないものがありますね。

次回は何しようかな。
なんかやります。
ではでは。



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