看板



すっかり夏景色。また忙しくなりそうな。
その前に更新はやっとこう。という訳で今回はこちらの御題。



懸賞景品の噺



うだうだ子ちゃん。昭和の高度経済成長期は、市場が急速に拡大していく時代でした。
人口はどんどん増えていき、
GDPはうなぎのぼり。右も左もモーレツ社員が
ズビズバーでパパパヤーな、ともかく日本中が
エネルギーにあふれてた時代でした。そんな時代のこと、
普通にモノを売ってても熾烈なライバルとの競争があり、
なかなかシェアを占拠する訳にいきません。
当時、商品を売りまくるために
新たにぶらさげたニンジン…それが
「抽選でもらえる特殊景品」でした。
いくらお金を積んでも買えない&どこにも売ってない…
こういうレア感覚に弱い子供たちはこれらの商品を
得んが為に無数の商品を爆買いすることに
なるのです。で、実際入手できたのかどうかは
神の味噌汁ということで。






ゴリラ(明治製菓)


ゴリラ
1972年にTVCMで「社長の代理です」と登場した明治のゴリラ。
この人を食ったようなノリが当時大いにウケただけではなく、
このゴリラもカワイイと評判になり
途中からこのCMに「ゴリラプレゼント」のテロップが入り、
全国的な大ブームになっていきます。明治の板チョコの包み紙100円分一口で
申し込むと(当時は板チョコ一枚20円)抽選で毎週
1000匹当たるというキャンペーンが12週にわたって繰り広げられました。
大きさはダッコちゃん程度の小さなもので、
見かけはゴリラというよりチンパンジーに近いのですが、
当時このゴリラ欲しさにみんな明治のチョコレートを
買いまくったものです。が、あまりに人気がありすぎて滅多に
当たらなかったようです。事実ウチの姉も鼻血出るまで
食いまくって応募してましたが、その血の滲む努力の
甲斐も無く結局当たらず。嗚呼…。(のちに縫いぐるみを作っていた
ハナカツというメーカーからオリジナル商品として
同様のゴリラぬいぐるみが販売されたそうです。)






おしゃべり九官鳥(グリコ)九官鳥


1965年にグリコが始めた豪華景品シリーズの第一弾。
プラスチック製のトーキングトイで、紐を引っ張ると中のレコード盤が回り、
数種類のセリフを喋るという仕掛け。
「ジュニア」「ミス」「ミセス」の3タイプがあり、希少なのは「ミス」。
グリコアーモンドチョコレートの箱の耳にあるハートのスタンプのついた
タグを5枚封書に入れて送ると抽選でもらえたという事ですが、
相当倍率が高かったのか滅多なことでは当たらず。








おつかいブル公(グリコ)ブル


1966年、おしゃべり九官鳥につづいてグリコが放った
豪華景品シリーズ第二弾。
今度はラジコン機能を備えた玩具で、操作で口の前にあるものを
咥えて掴んだまま走ることも出来るというハイスペックなラジコン玩具。
これもグリコアーモンドチョコレートの箱の耳にある
ハートのスタンプのついたタグを
5枚封書に入れて送ると抽選で貰えるというスタイルでしたが、
九官鳥同様倍率高すぎて…。
当時(1966)、ラジコンがどれほどの
高級玩具だったかという事を考慮すれば、
高倍率もむべなるかな、ではありますが。
後に出た「わんぱくブル公」は有線式のリモコン仕様に
なってるものもありました。







おとぼけ君&せっかち君(グリコ)ぼけ&かち



グリコ豪華景品シリーズの第三弾にして最終品。1967年に発表された本品には
テープレコーダーが内蔵されており、自分の声を録音して、
早回し(せっかち君)スロー再生(おとぼけ君)が出来るという、
お菓子の景品の域をはるかに超えたハイテク商品。
当時テープレコーダー自体がン万円のシロモノだったから、
子供たちは正直驚愕しました。
しかもこれは申し込んだら抽選ではなく全プレ!
ただ、ハードルが恐ろしく高く、
グリコアーモンドチョコレート(当時価格20円)に入ってる
せっかち&おとぼけカード1〜4を(つまり全8種)を
1〜4をきっちり4枚1組にし、それを30組集めて(!)、
切手百円分(商品の郵送料)を同封し、グリコ本社に送ると
もれなく貰える仕組み。一組ストレートに運よくそろっても80円。
ソレの30倍だから2400円!しかもダブリや違うカード
(せっかちが欲しいのにおとぼけが混ざる…)なども考慮すると、
5000円使っても揃うかどうか…。さすがにこの応募条件はキツく、
当時公正取引委員会から指導があったとも聞きます。
ケメコ故にこの初期型せっかち&おとぼけキャンペーンは早々に終了。
後にスペックダウンして原価を下げた後期タイプ
(あらかじめ録音したテープを再生する、九官鳥仕様)に商品が変わります。
応募条件は4枚1組カードを10組+切手百円分という風に、
ハードルは結構下がりましたが、自分の声が録音できる
前期タイプを欲しがっていた児童にとっては、
この後期タイプは魅力の無いモノになってしまいました。
翌々年の1969年、せっかちくんの金型流用による「せっかちケメコ」が
同じくキャンペーン品として三ヶ月だけ出回りましたが、
殆ど話題になることも無く終了。裏を返せば
三ヶ月間に応募条件を(グリコ商品の中にランダムに
入ってるラッキーカードを15枚一口にして送る)
満たして申し込むという事がどれだけ
ハイハードルだったか…当然現存数は希少です。
こうしてグリコの豪華景品シリーズは4年で幕を閉じました。







ドリフのクビチョンパ(トンボ鉛筆)チョンパ


前回でも紹介しましたが、
景品を語る上で外せないからもう一度。
1971年当時、トンボ鉛筆がキャンペーン商品として作り上げたもので、
いわゆる鉛筆キャップなのですが空気を押し出す筒が下についており、
空気鉄砲のようにキャップの上半身部をポンッと飛ばすことが出来ます。
これがクビが飛んでる様に見えるので付いた名前が「クビチョンパ」。
トンボ鉛筆一ダースを買うと付いてくるオマケなので、
5人分揃えるには最低でも5ダース必要です。
当然ながらこの時代、まだドリフに志村けんは加入してません。











おもちゃのカンヅメ(森永製菓)カンヅメ


もともと「宇宙少年ソラン」のキャラクター菓子として
登場した森永チョコボール(ソランのスポンサーだったのね)の
おまけとして打ち出したのが
この「おもちゃのカンヅメ」。初期時にはコンセプトが一貫しておらず、
「まんがのカンヅメ」となった事もありました。
画像は70年代初期のモノですが、
いなかっぺ大将の大ちゃんが描かれています
(森永がスポンサーだったのかな?絡み?)
中身は一切非公表。当ててからのオタノシミ。
貰うにはチョコボールのくちばしのエンゼルを、
金なら1枚、銀なら5枚必要ですが、昔は黄色
(つまりハズレ)を25枚送っても貰えました。
昔のエンゼルは優しかった。







ドレミファグラス(三ツ矢サイダー)グラス


1969年に三ツ矢サイダーが
行ったキャンペーン商品。三ツ矢サイダー王冠6個を
送ると抽選でで毎月1万名に当たるというもので、
当選すると一箱8個入りのグラスが送られてきます。
規定のラインまで水を入れ、叩くと音階を奏でる仕様。
結構どこの家にもあった記憶があるから、
当選率は高かったのかな?














音譜ストロー(サントリーエード)ストロー


頒布時期は定かじゃありませんが、
70年代前半くらい。当時サントリーエードのファミリーサイズボトルを
購入するとおまけで付いてきた記憶があります。
ストローは硬質のプラ製で、吸引すると奇天烈なラインを描き
ストローの色が変わっていくのがなんとも愉快でした。
結構いろんな家庭に行き渡ってたと記憶するんですけど、
普通に飲むには無駄な肺活量を要求される、
無駄で遊べるアイテムです。









ユニ坊主(三菱鉛筆)坊主


1972年に三菱ユニ1ダース購入すると貰えた景品。
用途は一応ケシゴムなのですが、球状なので消しにくく、
筆箱にも入らないという、使えないアイテム。
CMでもその使えなさをアピールしており、
「意味無いけど欲しい」と思わせる
アイテムの走りだったかも。
顔を思わせる三つの穴は鉛筆を挿すことが出来ます。
だからと言って何も起こらないのですが。











べぇ〜シール(森永)べぇ〜シール


チョコベーは1972年に森永製菓が販売開始した菓子で、
ヌガーをチョコで包んだ、いわばでっかいチロルチョコみたいな
ものでした。発売当初は普通にチョコ菓子単体の発売だったものが、
しばらくしておまけにオリジナルの
べぇ〜シールをつけたところ大ヒット。
値段は20円から30円、さらに40円にアップしたものの
飛ぶように売れていきます。
当初はパッケージマスコットの変種程度のキャラが、
漫画家のとりいかずよし
(当時「トイレット博士」の大ヒットで人気の作家だった)
らが手がけたあたりから一大ブームへと発展。
ブームが終焉すると、やがてディズニーキャラのシールに
取って代わるようになり、1979年頃に発売を終了しました。











ポンパラジオ(日立)ポンパラジオ


当時、日立キドカラー
(輝度の高いカラーテレビ、という意味らしい)のマスコットキャラとして、
昭和43年に生まれたのがこのポンパくん。
当時は日立もこのマスコットを全面的にプッシュし、
蒸気機関車の「ポンパ号」なる記念列車を
日本中に走らせたりしたものです。
これはそんなポンパくんを模したノベルティグッズ。
AMラジオになってます。
確か普通に日立のお店で買えたのと、
テレビ購入時におまけでくれたのと
入手方法は様々あったと思います。
1980年代に入るとマスコットとしての役目を終え、
姿を消してしまいました。












ハウスシャンメンテレビゲーム(ハウス食品)ゲーム


「あなたつくる人・わたし食べる人」で物議をかもした
即席ラーメン「ハウスシャンメン」が1977年に行った
キャンペーンの賞品。当時ヒット商品だった任天堂の「TVゲーム6」を
景品にしたもので、本商品との違いは
「ハウスシャンメン」のロゴマークがある程度で性能機能は同じ。
シャンメンの空き袋10枚を封書に入れて申し込むと
抽選で4000名に当たりました。当然ながら現存数は極めて希少です。














トータスポット(日清)ポット


日清焼きそばUFOのノベルティグッズと言えば、
ピンクレディーやサザンオールスターズがイメージキャラクターになって
頒布を行ったビーチグッズ(浮き輪・ビーチボート等)、
マイケル富岡のヤキソバンなどが有名ですが、
こちらはウルフルズのトータス松本がイメージキャラクターと
なった2000年に作られたグッズ。5月に第一弾、8月に第二弾と、
各4000名ずつ計8000名に頒布されました。
見ての通りのポットで、押すとトータスの鼻から
熱湯がでろでろ出てきます。
見てて気持ちのいいものではありませんね。















昨今こういうオリジナルノベルティグッズは減り、コラボによるグッズが増えてきましたね。
まだまだモノの値打ちが高かった古き時代の逸品、といえば
それまでなんでしょうが。

次回は何しようかな。
なんかやります。
ではでは。



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