看板


昭和40〜50年代、子供の遊びは明らかに変貌を遂げようとしていました。



昭和珍玩具の噺



うだうだ子ちゃん。昭和は遠くなりにけり。
思えば高度経済成長と呼ばれた昭和30年代から50年代という時代は
文化や技術が革新的にかつ
あまりにも早く進みすぎた時代だったのではないでしょうか?
と、○HK特集みたいな出だし。子供の玩具もそれに倣い、
それまでのものとは全くコンセプトを異にする斬新なものが続出し、
残ったもの消えたもの百花繚乱群雄割拠。
思いのほか寿命の短い昭和玩具たちの数々の中から
今回は印象的なものを挙げていきましょう。









地球ゴマ
地球ゴマ



ジャイロコンパスの原理を応用したコマで、
外枠と内枠が独自に動くという仕様を
利用して、釘やボールペンの先やタコ糸の上の綱渡りなど、
通常のコマではありえない動きが可能な科学教育玩具です。
1921年に誕生後、アメリカなど世界各国へ輸出されましたが、
日本内でのブームは1960年代から。
タイガー商会がTVCMを打ったことがきっかけとなり
ブレイク。その後露店などで類似品が売られるようになり
「宇宙ゴマ」「衛星ゴマ」「太陽ゴマ」などの模倣品も
多く見られるようになりました。現在でもネットなどで入手可能です。







バンバンボールバンバンボール



1978年、日本コカコーラボトラーズが
先のラッセルヨーヨーの大ヒットに次いで
発表した景品。プラ製の羽子板みたいなラケットに
紐でつながれたゴム球が付いていて、
さしずめケン玉のような感じで遊びます。
アップ・バウンス、プッシュ・アウト、サイド・ストローク、フライ・パスなど
テクニックがいくつも紹介されておりまして、
ヨーヨーの時のように世界チャンピオン(?)が
全国を回る展開もあったようですが、
ヨーヨーほどヒットはせず。しかし、その独特の形状と
キャンペーンの大掛かりさゆえに
世代人には強烈な印象を残した一品です。






笑い袋笑い袋



元々は日本のパーティーグッズメーカーの株式会社アイコが
1960年代にアメリカ向けの
ミッキーマウス人形の内蔵再生機として作った
トーキング・レコードプレーヤーが素体。
この機能を再利用する形で、笑い声を吹き込んだレコードを
同機のプレーヤーに入れ、袋に内包して
1969年にアメリカで売り出したところヒットし、
翌年日本でも発売されて流行し大ヒット商品となります。
声の種類は、男、女、カップルの3種類あり、
男版の笑い袋は声優の肝付兼太が演じているという情報があります
(ビートたけしのオールナイト・ニッポン)。







ブーブークッションブーブークッション




元は1930年にカナダのトロントのジェムラバー社の従業員が
廃材のゴムシートを使った実験をしている中で
生み出された玩具であり、
その歴史は意外と古いもの。円形のゴムシート(ビニール製もあり)に
襞のついた吹入口(排出口)があり、圧迫すると屁にも似た音が
響くというイタズラ玩具。
1970年代の芸能人へのドッキリアイテムとして使われた
(NTVどっきりカメラ)ことが
契機となって子供たちの間で流行し、
以降パーティーグッズ・イタズラグッズの定番として
親しまれていきます。







マジックコースターマジックコースター




単体だと何に使うのか良く解らない玩具ですが、
要するにレールの付いたヨーヨーみたいなもの。
磁石の内蔵されたコマをレールに走らせるというモノで、
いまいち面白さが伝わりにくいシロモノですが、
磁石によって吸い付いたコマがレールの上を
クルクル回りながら進む様は
ちょっとした快感です。今でも入手は可能で、
ネットなどで購入可能(商品名が異なりますが)。
有名な例では1968(昭和43年)に不二家怪物くんの懸賞品として
このマジックコースターが採用されました。
普通のマジックコースターなのか、
怪物くんのシールのようなものが貼っていたかまでは
定かではありません。





ゲイラカイトゲイラカイト




アメリカで発明された三角形の凧で、「ゲイラ」は発売元の会社名。
ゆえに登録商標なのですが、
一般固有名詞としてすっかり
定着した感があります。
日本には1974年に輸入され大ブーム。
ヒューストンのNASA技術者が開発したと
いう触れ込みのCMもあって、
一気に和凧から日本の制空権を奪ってしまいました。
プラスチックの骨組みに
ビニールが張られた、非常に簡単かつ丈夫な仕様で
すぐ組み立て・凧揚げが可能という
お手軽さも普及に一役買ったといえます。







水飲み鳥水飲み鳥




熱力学で作動する熱機関の玩具で、
鳥が水場から水を飲む動きを模倣した動きが特徴。
平和鳥、ハッピーバードなどの別名でも
呼ばれています。
二つのガラスの球をガラス管で繋いだ形をしていて、
下のガラス球には着色した
ジクロロメタン(塩化メチレン)の液体が入っていて、
周囲環境の熱によってジクロロメタンの
蒸発熱が発生し、
頭部と胴体の気圧差により管内の液面が上昇し、
液体が頭部に流れ込むことで重心が上がり、前方へ傾くという
仕組みになっています。あとは蒸気の気泡が
管を通って上昇し、液体は下降し
胴体に流れ、頭部と胴体の気圧が平衡し、
液体が胴体へ戻ったことで重心が下がり、
鳥は元の体勢に戻る…
これを繰り返します。海外では1950年代から
インテリアアクセサリーとして親しまれていましたが、
日本では「王様のアイディア」などのパーティーグッズ店や、
東京タワーの土産物店などで売られ
普及していきました。


フィンガーポップスフィンガーポップス




ツクダオリジナルが1978年に発売した玩具。
発砲ウレタンの円柱状の物体を指でつまんで弾き飛ばす…
それだけのおもちゃとしか言いようがないシロモノ。
当時放送中だったルパン三世(2ndシーズン)の
キャラクターグッズにもなっており、
一時的にではありますが流行したとも。
専用のピストルセットというモノも出ましたが、
正直楽しいアイテム、とは言えませんでした。









モーラーモーラー




「生きてるかのように動くあなたのペット」とCMで謳われ、
多くの少年少女が扇動されたアイテム。
もとは1972年にオーストリアで発売され、
日本では増田屋コーポレーションが1975年に販売を開始。
CM効果もあって初年度に200万個を売り上げ、
今なお販売は続いております。
生きてるように動くといっても、鼻先に繋がれたテグスを使って、
自分で動かさなければならず、
巧く動かすにはコツが必要でありますが。








ドリフのクビチョンパトンボドリフ景品




1971年当事、トンボ鉛筆がキャンペーン商品として作り上げたもので、
いわゆる鉛筆キャップなのですが空気を押し出す筒が下についており、
空気鉄砲のようにキャップの上半身部をポンッと飛ばすことが出来ます。
これがクビが飛んでる様に見えるので付いた名前が「クビチョンパ」。
なんともアレなネーミングですがこれが大ヒット。
トンボ鉛筆一ダースを買うと付いてくるオマケなので、
5人分揃えるには最低でも5ダース…。
同じくシャープペンシル(当時は高級品でした。)の
「ドリフイケイケシャーププレゼント」では、
シャーペン一本(¥500)買うと
スピードくじが付いてきて、
それにあたるとソフビ製のドリフ人形が貰える
仕組みになってました。
当時のドリフ人気は凄まじく、この人形もまさに垂涎の的でしたが、
高いシャーペンを買って
なおかつクジに当たらなければならぬという
ハイハードルさ。
5人全部揃えれた豪傑は日本に何人いたのやら…




ウルトラハンドウルトラハンド




1966年に任天堂が発売した玩具で、
元は当時の社員横井軍平氏が自作で作った冗談グッズ。
それが任天堂社長の山内溥の目に止まり、
「それを商品化しろ」ということになり、
販売に至ります。
ギミック自体は非常に原始的なマニピュレーターですが、
パンタグラフ状に伸び縮みする仕組みが子供にウケ、
初年度だけで140万個も売り上げる大ヒット商品となりました。
ちなみに商品名の由来は
「ウルトラC」+「マジックハンド」という意から。







テンビリオンテンビリオン




1980年に任天堂が発売したパズル。
横井軍平氏がルービックキューブをヒントに、更に難解なものを、と
考え作り上げたモノで、
4個一体の透明なドラムに球の入る溝が各層に空き、
6色4〜3個の球が計23個入っており、
これらを層や溝を移動させつつ合わせていくというもの。
その組み合わせパターンは100億以上あるという
意味から「ten billion(100億)」から
商品名が取られています。
(実際の組み合わせパターンは100億どころか4兆5,092億以上)。
日本ではルービックキューブの亜流的な見方で、
当時多くあったルービックキューブの
模倣品の一種という印象が強いのですが、
世界各国でヒットし、特にドイツでは大ヒットを遂げており、
今なお世界中に熱心なファンのいるパズルです。




ラブテスターラブテスター




1969年に任天堂が発売した恋愛測定器という名の玩具。
開発の動機は「男女が気兼ねなく手を繋げるきっかけを作りたい」
というところから。本体は電流計のような形をしていて、
下部からコードが一対延びており、
その両端をカップルがひとつずつ握り、
掌の汗を測定しその発汗量を以って
「恋人同士の愛情の深さ」として測定しました。
当時価格は¥1,980(今の¥18,000程度)と結構高価。
発売当時はその真偽が物議をかもしたことも。
真偽のほどはさておき、発売から40年経った現在でも別会社から
復刻版が出されている所を見ても、
インパクトは強かった商品と言えるでしょう。





昭和玩具にはまだまだインパクトの強いものがたくさんありますが今回はとりあえずこんなところで。

次回は何しようかな。
なんかやります。
ではでは。



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