看板


関西限定でスマソ(誰よ。こんな言い方始めたの)。
今回はこちらの御題。



ありし日の関西レジャースポットの噺



うだうだ子ちゃん。昔は日曜祝日といえば出かける場所は遊園地。
子供が溢れかえってたころには
どこの遊園地も満員御礼でした。
が、それは昭和のお話。平成に入ると
モノの見事に消滅・閉鎖していった
関西各地の遊園地。理由はさまざまあれど
ありし日の関西のアミューズメントスポットに
想いを馳せてみましたのコトよ。






伏見桃山城キャッスルランド(2003年1月31日閉鎖)伏見桃山城キャッスルランド
京都府伏見区に
1964年に設置された遊園地。
ウリは伏見城を模倣した
鉄筋コンクリート製のレプリカ天守閣。
その膝元にゴーカートや
ジェットコースターが設置され、
一時は年間入場者数が
100万人を突破したことも。
しかし、次第に少子化の影響で観客が減少。
そこにユニバーサルスタジオ・ジャパン(以降USJ)の
オープンで「これ以上の営業継続は
困難」との判断が下り、2003年に営業停止。
跡地は現在京都市運営の運動公園。
レプリカ天守閣は市民の要望で
現在も解体されずに残されている。




フェスティバルゲート(2007年7月31日閉鎖)フェスティバルゲート
大阪市の第三セクター出資で
1997年に作られた大型遊園地。
海底に沈んだ古代都市をイメージして作られており
(今思うと縁起悪い)
大型遊戯施設や飲食店街、
映画館や世界の大温泉「スパワールド」が設置され、
あらゆる世代や客層に
アピールしようというのが伺える。
しかし、開園当初を除くと客足が激減。
何とか復活させようと大阪プロレスの本拠地を誘致したり、
文化活動団体を誘致したりしたものの、
一度離れた客足を戻すことには至らず、
結果2007年には全てのテナントが撤退。終焉をむかえた。
ちなみにスパワールドは今も好評営業中。




六甲ランドAOIA(1995年1月17日以降閉鎖)六甲ランドAOIA
1991年にオープンした遊園地。
ウォータースライダープールやレーザーシューティングゲームを設置しており
派手なコマーシャル(ダチョウ倶楽部が出演していた)の
♪遊び海賊の〜りのりというテーマソングも
有名になり、一躍関西の新感覚遊園地として
脚光をあびることに成功。
入場料5,000円という高額の入場料ながらも
年間およそ200万人の人出で賑わっていたものの
1995年の阪神淡路大震災で
施設が修復不可能なまでに損壊。
出資元が再建を断念して放棄したため、
その後7年近く廃墟のまま放置され、
無残な骸を曝すことになる。

現在は解体され、跡地に神戸国際大学と
駐車場が設置されている。




奈良ドリームランド(2006年8月31日閉鎖)奈良ドリームランド
日本にデイズニーランドのような遊園地を、という事で
1961年に開園した大型遊園地。
「未来の国」「幻想の国」「冒険の国」
「過去の国」「メインストリート」の5つのエリアから
構成された園内はモロにデイズニーランドを想起させる。
開園当時の人気はすごく、当時在阪のテレビ局が
「ドリームランド開園記念番組」を
放送したほどで、当時の盛り上がりぶりが伺える。
(出演は「漫画トリオ」。上岡龍太郎が番組内で述懐している。)
ただ、そのディズニーランドの模倣振りに
ウォルト・ディズニーが激怒したという逸話も。
このように表裏様々な逸話はあったものの、
当時としては画期的な大型遊園地として
受け入れられたものの、80年代に入ると
本家のディズニーランドが東京にオープン。その画期性は失われ、
90年代になると同じ関西にUSJがオープン、観客は減少し、
2006年に閉園となる。
兄弟的存在として横浜ドリームランドがあり、こちらは営業中。




宝塚ファミリーランド(2003年8月31日閉鎖)宝塚ファミリーランド
1913年開園と言われる老舗の遊園地。
かつては手塚治虫も子供の頃に通ったという逸話もあり、
併設されていた宝塚大劇場でみた宝塚歌劇が
のちの「リボンの騎士」のソースになったと言われている。
老舗遊園地として納涼オバケ屋敷や
日本版イッツアスモールワールドと言うべき「大人形展」、
ホワイトタイガーが人気を呼んだ動物園など、
話題には事欠かなかった。
しかし、USJのオープン、少子化により観客が減少。
2003年4月7日をもって閉園するが、
ガーデンゾーンを「宝塚ファンタジーガーデン」として
期間延長で同年8月31日まで営業し、
90年の歴史に幕を下ろした。




甲子園阪神パーク(2003年3月30日閉鎖)甲子園阪神パーク
もとは1929年に作られた「甲子園娯楽場」。
1932年に動物園や水族館を併設し、
その際に浜阪神甲子園パークと
名称を変更した。(1950年9月に甲子園阪神パークと名称変更。)
その後もプラネタリウム、ボウリング場、プール、スケートリンクと
増設し、様々な話題を提供し続けていく。
何と言っても有名だったのは1959年に
動物園で生み出された「レオポン」
(雄ヒョウ+雌ライオンの人工交配獣)で、
以降阪神パークのアイドルとして1985年まで
多くの人々に愛されることとなる。
(現在は動物愛護の観点から
人為的異種配合は自粛されている)
USJの台頭により晩年は半分の敷地を住宅公園化。
入場無料の配慮も行うも2003年に閉園。
現在は商業施設「ららぽーと甲子園」となっている。




神戸ポートピアランド(2006年3月31日閉鎖)神戸ポートピアランド
もともとは地方博として開かれた「ポートピア,81」(1981.3〜9)の
遊戯施設場として開設。博覧会終了後は
単独遊園地として営業開始。
近畿の遊園地でも多数の入場者を集める
優良施設だったものの
1995年の阪神淡路大震災で損壊、
地面の液状化現象などで大損害を受ける。
長期の休業後ようやく再会するも
震災の影響で観客は激減。
さらにUSJの開業でとどめを刺された格好となり
スポンサーの阪急グループが撤退。
2006年3月31日に閉鎖となった。
跡地には大型家具量販店が進出予定。



近鉄あやめ池遊園地(2004年6月6日閉鎖)近鉄あやめ池遊園地
近鉄が奈良線の菖蒲池駅近くに設置した遊園地。
1926年(大正15年)6月11日開園。
地方であることを生かして
広大な面積の敷地にボウリング場や
動物園、OSK劇団の常設演劇場も設置。
近鉄電車の保存展示場まであった。
2003年以降、近鉄グループの経営刷新により
赤字部門の整理が始まり
OSK日本歌劇団とともにあやめ池も整理されることになった。
跡地には近畿大学が2008年に移転予定。







さやま遊園(2000年4月1日閉鎖)さやま遊園
1938年(昭和13年)に狭山池の東湖畔に設置された
小型の遊園地。夏はプール、冬はスケートで
主に低年齢の児童を中心に人気をあつめた。が、
少子化やレジャーの多様化で累積赤字が拡大。
2000年に惜しまれつつも閉園となった。
現在南海高野線の「さやま遊園駅」は閉園後は
「大阪狭山市駅」に変更になっている。
寂しい限り。みさき公園とイベントが交互に行われる事もおおく、
よく両方のイベント告知の
吊り広告が南海電車内に飾られていた。




りんくうパパラ(2004年10月末閉鎖)りんくうパパラ
1994年、大阪りんくうタウンの傍に
第三セクターから借り上げた土地に
関西国際空港開港にあわせて
出来たレジャースポット。
高さ54メートルの大観覧車や
ふれあいワンニャンランドがウリで、
当初は入場者も2ヶ月で100万人を数えたものの、
USJが出来てからは激減。
年間6〜70万人まで落ち込んだ。
第三セクター側が土地賃貸料の
値上げを通達してきたことがきっかけで
採算がとれないと知った
運営会社サトリアが営業を停止。会社は破産し
りんくうパパラは10年で閉鎖に追い込まれた。





今関西に残ってる遊園地は「ひらパー」「みさき公園」
「エキスポランド」「スカイランドいこま」位になっちゃいましたね。
USJの影響はすごいわね。昭和イズムの遊園地ってもう
生き残れないのでしょうか。それも寂しい。

次回は何しようかな。
なんかやります。
ではでは。



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